【純粋な形】(1)脳による対称性の破れ
大きな競技場の真ん中にマンホールの蓋を置き、観客席を数万の観客で埋めます。一つ一つの観客席から見えるマンホールの蓋の形はどれ一つとして同じ形、同じ大きさをして見えるということはなく、観客一人一人によって全て見え方が異なります。
数万の観客席からのそれぞれ異なるマンホールの蓋の見え方の中で、どれが〝正しい形〟であるのかを決めることはできません。
どれが〝正しい形〟であるのかを決めることができないのがなぜなのかと言えば、数万の観客席に座る一人一人にとっての「形」は、一人一人の視覚の「アングル」という脳の空間的な情報を取りまとめる働きによって情報処理をして見て取っている主観的な生得的解釈であるからです。つまり、唯一の客観的な「純粋な形」は脳の外側の世界に所在しているということです。
「純粋な形」というものがいったいどのようなものであるのかについて、それは人間の脳の働きに基づく「アングル」という生得的主観の一切が排された状態の形であるということになります。それがどのようなものであるのかと考えれば、ありとあらゆる「アングル」の下にある見かけ上の形の全てが一体となった集合的全体性としての重ね合わせ状態ということになります。それは全ての可能性が一体となった集合的全体性として高度に対称的な「形」ということになります。
「純粋な形」をありとあらゆる「アングル」の下にある見かけ上の形の全ての一体的重ね合わせ状態としての高度に対称的な形と考えれば、誰かが「純粋な形」にその「アングル」をあてがって見て取る見かけ上の形は「純粋な形」にとっての対称性の破れに相当するということになります。この世界に生きる一人一人はそれぞれの「アングル」で形を切り取ってこの一面に広がる視界という世界を認識しています。この世界は「アングル」という脳の働きによって対称性が破られた世界なのです。